連載

第3回

‘無いから出来ない’ではなく‘無いものは創り出す’

パーソナル・サポート・センター開所式

● 生活困窮者自立支援に関わる取組みで苦労やエピソードはありますか。

 行政の委託事業では、相談者の研修、職業訓練はもちろん企業実習でも、交通費や日当、食事代は出せません。そのために訓練・実習を受けられない、続けられないとなれば、支援制度も役立ちません。一方、職員カンパ等のサポートも限界がありました。組織として立ち上げた「生活支援基金」は、現場で頑張る職員の熱い思いから創設されたものです。
 その間、県の関連法人の助成など、必要な資金を継続的に確保する仕組みを苦労して整え、取組みを継続し、成果を重ねることができました。着実な成果が見えることで、幾つかの行政事業で交通費や日当も認められるようになりました。この経験から、‘無いから出来ない’ではなく‘無いものは創り出す’という意気込みが生まれ、浸透したように感じます。
 一方、相談員の精神的なケアは課題でした。産業医のほか、県総合精神保健福祉センター所長(医師)のアドバイザー就任、個人面談等を実施しました。2名のメンタルヘルス責任者の論理的思考と献身的対応もあり、厳しい状況も乗り切ることができました。
 思い出深いのは、2010年、総理官邸で菅総理らの前でパーソナルサポートサービスの意義と必要性、有効性のプレゼンテーションをしたことです。支援を通じて自立できる多くの人々がいる。100%の自立はできなくても、支え合い、働くことを通して皆が社会に参加する全員参加型の社会づくり、これが人口減少の続く日本に求められる政策であることなどを伝えました。中央労福協などが提起し、実践してきた取組みがいよいよ本格的にスタートすることに高揚感を覚えた瞬間でもありました。

エピソード④

職員の熱い思いで創設された生活支援基金

元気になった相談者

フリーマーケット風景

 1万円あれば住むところも食事もとれない人でも、一週間暮らせ自立に向かえるスタート台に立つことが出来る。普通には理解できないと思いますが、これが支援の現場の実像です。労福協の連携するドミトリーとフードバンク等を活用しながら行政の制度を生かし、その間に就職支援につなげる。
 これを一時的に貸し付ける「生活支援基金」の創設を求めて、300万円限りで理事会に提案しましたが、一人の理事の反対で2度取り下げ、3度目でやっと理解を得ることが出来ました。確かに厳しい中での貸し付けは返済ゼロとの指摘はありましたが5割近くの返済率となりました。さらに、就職・自立した後に食料を届ける相談者もいて勇気づけられました。
 これも、職員が困っている相談者を見て見ぬふりせず、フリマでの収益金や職員カンパなどの実績を積み重ねることで、理事の心を動かし職員の熱い思いが通じ創設されました。

エピソード⑤

地域に開かれた事業所内「認可保育所」いずみのもり保育園の設置

子育て支援

 これまでの事業所内保育所は無認可でしたが、国の政策転換により「認可保育園」で地域の皆さんも利用できる。また、複数企業での共同設置も可能となりました。労福協の100名を超える職員の中にも保育所不足に苦労しながら子育ていしている方もいました。新しいシステムを活用することにより、職員の子育て支援はもとより近隣の慢性的な保育所不足に貢献でき、さらに収益性も見込めることから事業の検討を始めました。
 理事会での企画提案に対し、一人の理事が反対しその都度、懸念材料を提起しそれが解消されたら、また、新たな問題提起を繰り返し暗礁に乗り上げてしまいました。那覇市への設置助成金のタイムリミットが迫るなか断念するしかないと苦悩しあきらめかけていました。
しかし、理事会で発言を認められた職員たちが、緊張のあまりふるえながらも必要性とその可能性を切々と訴え理事会の理解を得ることができ、労福協と労金、全労済、官公労共済会の共同設置事業としてスタートすることが出来ました。
 いずみのもり保育園の開所式には、那覇市長も保育所不足解消のモデルになる設置方式と高く評価し、率先して出席してくださいました。また、テープカットの際には反対していた理事も嬉しそうな笑顔で市長と並んで参加している姿を見てホットしました。

玉城 勉

公益財団法人 沖縄県労働者福祉基金協会 前専務理事

1955年沖縄県生まれ。沖縄県職員労働組合委員長を経て、2002年に連合沖縄政策事務局長(副事務局長)。2002~2004年、任意団体の沖縄県労福協事務局長(非常勤)。2011年11月~2017年6月まで専任の専務理事。その間、数々のNPO設立や支援等に取り組む一方、内閣府パーソナルサポート検討委員会構成員として生活困窮者自立支援法の制度設計にも携わる。

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