連載

営利と非営利の意味、認可主義と準則主義について

 協同組合は「非営利」事業だといわれる。非営利とはどういう意味なのか。また、協同組合はすべて所管の省庁の認可を得なければならないのはなぜか。それらの歴史的経緯を明らかにして、その意味を考えようと思う。

  1. 「非営利」原則が削除された農協法~非営利を考える①
  2. 非営利の意味を問い直す(前回の続き②)
  3. 認可と届出~その①
  4. 認可主義と届出主義その②

1 「非営利」原則が削除された農協法
非営利を考える~その①

 第一八九通常国会では、安保法制が大きな争点となったが、もう一つ農協法改正にも関心が寄せられた。実は、今回農協法から「営利を目的としてその事業を行ってはならない」といういわゆる「非営利」原則の条文が削除されたことを、迂闊にもつい最近まで知らなかった。あわてて議事録を見ると、民主党の小山展開伸弘衆議院議員が2015年6月4日の農林水産委員会で「削除する必要はない」と提起したが、政府は「利益を出してはいけないと思っている組合長がいるので誤解を招かないように削除する」と答弁し、そのまま削除されてしまっている。
 「全中を一般社団法人に、全農を株式会社に」しろと国が命令できるのは、認可権限と指導・監督・解散権を握っているからに他ならない。これは他の協同組合も同様である。そもそも組合員が自発的に作る協同組合に「認可主義」はなじまない、会社と同じように「準則=届出主義」で設立できるように変えるべきだと指摘はしていたものの、「非営利」原則の削除という点にはあまり注意を払わなかったのがいけなかった。
 では、協同組合に共通する非営利原則は「利益を出してはいけない」ことなのか、それとも別の意味があるのか。なぜ、協同組合に認可がなじまないのか。立法当時に戻ってその意味を考え直してみようと思う。
 非営利原則が盛り込まれたのは、1947(昭和22)年11月に制定された農協法が最初である。第6条(現8条)で「組合は、その行う事業によってその組合員及び会員のために最大の奉仕をすることを目的とし、営利を目的としてその事業を行ってはならない」とされた。当時はGHQ占領下だったので、英文の官報も存在しており、この部分はnot the paying of dividends on invested capitalと訳されている。
 つまり、出資金(invested capital)に配当金(dividends)を支払わない(not the paying)ことが「非営利」事業体の条件である、と捉えていたことが分かる。逆に言えば、出資金に配当するのが「営利」事業、利用分量に応じて配当するのが「非営利」事業であると理解していたと推察できる。利益を出してはいけないどころか、利益を出して組合員に還元する、それが最大の奉仕であるといっているに過ぎないのである。(2015.11)

2 非営利の意味を問い直す(前回の続き)

 農協法制定の翌1948(昭和23)年7月に制定された生協法にも、第9条に「営利を目的としてその事業を行ってはならない」と農協法と全く同じ文章の条文が置かれた。ところが、不思議なことに英文官報では農協法でのnot the paying of dividends on invested capital がnot profit makingに変えられているのだ。なぜ英文だけが変えられたのであろうか。
 日本の協同組合法は1900(明治33)年の産業組合法が嚆矢である。ドイツの協同組合法を参考にした産業組合法では、制限付きながら出資配当を認めており(模範定款では、当時の金利の1/3程度の5%が上限)、その流れを受け継いだ戦後の農協法にも生協法にも制限付きで出資配当を認めていたのである。そのため、出資配当を明快に禁止していると読める農協法の英文だけを変更せざるをえなかったのではなかろうか。こうして、生協法の英文をnot profit makingとし、それをもともと日本語でも意味が曖昧な「非営利」という言葉に訳してしまったことによって、一層混乱が深まったのである。利益を出してはいけないnon profitだ、いや違う、利益を出すことが目的ではないnot for profitだ、などの議論や前回指摘した農協組合長さんの誤解を生んでいるのではないだろうか。そして、「営利を目的としない」とは、一般的にはせいぜい貪欲な金儲けをいさめる倫理規定的な受け止め方になってしまったと思われる。
 つまり、営利を目的としない=非営利を今日的に理解すると、生み出した利益のうち、税や積立て金など必要なものを除いた「剰余金については組合員の利用高に応じた配分を第一義とし、出資金に対する配当は後回しにする」ということになろうか。
 利益を出してはいけないと誤解されないように、といった理由で農協法から非営利原則を削除したのは、木を見て森を見ない浅薄な発想ゆえであり、協同組合の思想の根幹を揺るがす内容だったといわなければならない。
 協同組合の根幹にある考え方を時の権力が骨抜きに出来るのは、協同組合が行政の「認可」を得なければ設立できないところにその原因がある。日本の協同組合設立の認可主義とドイツの準則(届出)主義、その違いを次回以降さらに考えてみることにする(2015.12)

3 認可と届出~その①

 日本の協同組合は所管の行政庁の認可を得なければ設立できない。なぜ会社と同じように自由に法人設立できないのだろうか?素朴な問いかけから始めてみたい。
 明治維新はそれまでと違って、「私的所有権」を完全に保障することを根底にスタートした。「私的所有権=自分の物」は絶対であり、土地や物の売買や契約関係は、私とあなたの間、つまり人間と人間=「自然人」との間で成立するという関係性が基本となっている。それに対して会社は自然人ではないので、契約主体になれないとすると不都合なので、法律に基づいて自然人と同じように契約主体になれるようにした。これを法律に基づいた「人」という意味で「法人」という。
 具体的に見てみよう。会社を設立しようとすると、会社法にそって定款を定め出資金・資本金を銀行に払い込んだうえで、それらの書類が「会社法」に適合していることを公証人役場で証明してもらい、法務局に届け出れば登記は完了する、つまり「法人」になれる。これを会社法に準拠するという意味で「準則主義」もしくは「届出主義」という。
 届出主義の対局は「認可主義」である。協同組合はもちろん、社会福祉法人、学校法人・・・などは国の認可がなければ設立できない。
 でも、会社は自由に設立出来るのに協同組合は国の認可がなければ設立できないのはおかしくないか。そもそも、「協同組合的組織」は普通の会社=商業的企業以上に「地域の暮らしに根ざし、組合員(メンバー)自身によって出資・経営管理され、運営される自主的・自律的組織」であるのが特徴。だとすれば、会社以上に自由に設立出来ていいはずではないだろうか。
 近年の法人制度改革でも、一般社団・財団法人はこれまでの認可主義から準則主義に転換されているのにだ。
 そんな認可主義に対する素朴で根源的な疑問を持とうではないか、と提起すると、「いや国から認可されることはお墨付きを得ることになるので信用が増す」という意見が出てきそうだ。本当にそうだろうか。次回はそのメリット、デメリットを検証してみることにする(2016.2)

4 認可主義と届出主義~その②

 日本の協同組合がなぜ認可制になったのか、そのいきさつを知るために協同組合法制(産業組合法)の成立過程の議論をふり返ってみたい。産業組合法が制定された1900(明治33)年当時は、日清戦争後の不況で、人口の8割を占める小農・小商人・職工の疲弊が甚だしく、社会の不安定化をおそれた明治政府が農民や職人の生活向上をはかるツールとして制定されたのであった。届出主義のドイツの協同組合法を参考にして作られた産業組合法だが、当初から認可・監督、場合によっては解散させる権限を国が持つことにした。そのため、ヨーロッパの協同組合と異なり、上から作られた協同組合=お上が作った「官製協同組合」といわれている。官製であったにもかかわらず、帝国議会での審議の中で「社会主義を蒔くのか?」「いや、そうならないために作るのだ」という論争があったぐらいで、さらに同年、治安警察法を制定し、いつでも労働組合を弾圧できるようにしたのである。
 こうして、明治政府は自立した農民・市民の自主性・自治を常にチェックし、いつでも解散させる権限を手にしていた。第二次世界大戦での敗北で、治安維持法などの直接的な労働組合や生協に対する抑圧・弾圧策はなくなったが、協同組合の認可主義だけは引き継がれた。
 認可主義は協同組合にどのような影響を与えるのか、直近の農協バッシングを見れば明らかだ。農協は農民の民主的主体性、組合の組織的自由、農協の自主性を標榜した組織(農協法制定時の農林大臣提案趣旨説明)だから、仮に農協の運営に問題があるとすれば、組合員である農家が自分たちで民主的・主体的に解決すべきなのであって、なぜ組合員でもない部外者の政府が「全農を株式会社にしろ」と、したり顔で言えるのか。認可権が協同組合の自主性を失わせているからにほかならない。届出主義で設立された会社に対して政府が「お前の会社は改革しろ、さもなくば解散だ」などという権限は一切ないのである。認可と届出の違いは考え方の上で天と地の開きがあるのだ。
 今すぐ届出主義に変える展望はないかも知れないけれど、少なくとも協同組合の自主性を考えるうえで、問題意識を持ち続けたいと思う。(2016.3)

高橋 均(たかはしひとし)

労働者福祉中央協議会(中央労福協) 講師団講師
明治大学労働教育メディア研究センター客員研究員
一般社団法人日本ワークルール検定協会副会長

1947年 京都市生まれ
1974年 読売旅行労働組合結成に参加。書記長、委員長
1980年 観光労連書記長、委員長(現サービス連合)
1996年 連合本部 組織調整局長
1998年 同 総合組織局長
2003年 同 副事務局長
2007年 労働者福祉中央協議会(中央労福協)事務局長
    現在 同講師団講師

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