活動報告
報告日:2018-10-23
岩手県被災地視察研修
 
活動期間 2018年10月17日(水)~2018年10月18日(木)
内   容
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かたりべからの説明
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義援金を岩手労福協へ
岩手県被災地視察研修会
 10月17日(水)~18日(木)に岩手県被災地視察研修会へ常任幹事12名で訪問しました。
 17日9時20分に愛知県営小牧空港発の飛行機にて10時20分に岩手花巻空港へ到着し一路、釜石市へバスにて向かいました。
バスには岩手労福協の菅野専務理事に同行していただき、道中を案内していただきました。今回は視察中心の行程のため、時間的にタイトのため、昼食はバスの中で摂り、豪華弁当を用意していただきました。
途中、道の駅「遠野風の丘」で休息し、津波被害の大きかった大槌町を視察しました。大槌町ではボランティアの川端さん案内により、10.7mの大きな津波により1285名の犠牲者が出、その象徴となっている、旧役場庁舎を視察、庁舎の屋上まで津波が襲った現場を見てその凄まじい威力を強く感じました。現在、遺すか取り壊すかで議会が分かれており、犠牲者が出たことで、将来的に壊す方向なると言われました。
 大槌町視察後、新日鉄住金釜石労組にて岩手労福協との懇談会を行い、冒頭、田会長より岩手労福協八幡理事長に義援金を贈呈しました。
続いて、新日鉄住金釜石労組三浦組合長より2011年3月11日の震災での被害状況と釜石市の復興状況の説明を受けました。
釜石市でも震災犠牲者が1000人を超え、町も甚大な被害に遭い、町中瓦礫の山となっていたと説明された。緊急津波情報も当初3m⇒6mと放送され、それでも防潮堤があるので大丈夫と思う住民が多く、逃げ遅れて犠牲になった方も多かったと言われた。労組も会社を上げて地域復旧に取り組み、行方不明の捜索・地域ボランティアへの協力等を行い、また、工場内は一時遺体安置所になり、その中に2日間行方がわからなかった、組合員の遺体が見つかったと言われました。
新日鉄住金釜石工場も甚大は被害に遭い、三浦組合長曰く、あまり大きな工場ではないので、そのまま操業停止になるのではと思っていたが、当時の進藤社長が激励に来た際に、従業員を集め、「釜石は近代製鉄発祥の地で「北の鉄人」といわれた新日鉄釜石ラグビー部(現釜石シーウェイブス)の本拠地。」だから必ず復興させると言われ三浦組合長も涙したと感想を言われました。
 新日鉄住金釜石労組の組合員も多く被災し、2名の方が亡くなられ、特に残された遺族の心のケアに寄り添いながら支えたこと、生活復興に向けた支援活動、また風化させない取り組みを行なっていると元ラガーマンらしく熱く語られました。
 翌日は、県内で一番被害が大きかった、陸前高田市を訪問、こちらも案内人の新沼さんに津波被害場所を案内していただき、犠牲者が一人も出なかった、気仙沼中学校を視察、地震が来たときに、日頃から避難訓練を行なっていたことにより、全員近くの高台に逃げ助かったと説明を受けた。そのほか、「道の駅高田松原」「陸前高田ユースホステル」の3つ、犠牲者が出なかったため震災遺稿として遺されることとなったと説明された。また、8万本の防風林の松が津波により全て流され、奇跡的に残った、1本松が奇跡の松として残って、維持管理されている。全面には高さ12mの防潮堤が覆いかぶさるように建設されており、居住区は10mかさ上げされているのに、防潮堤がいるのか疑問が残ると言われたのが印象的でした。
 続いて、大船渡市の津波伝承館を訪問、伝承館館長でさとう製菓(かもめの玉子)の佐藤寛治さんより、当時、自身が撮影された記録映像を拝聴、迫力ある映像に津波の恐ろしさを実感しました。その後説明を受けましたが、飛行機搭乗時間の関係上、1時間半のところ30分に短縮していただき、伝承館を後にしました。「後日、YOUTUBEで講演内容を拝見しました。みなさんも一度観てください。」
 今回の岩手県視察でまだまだ復興には程遠く、最近、地震・台風等の災害がおきておりますが、東日本大震災を風化させてはならないと強く感じました。


添付資料 添付ファイル
コメント:被災した大槌町役場
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