連載

 第1弾は、「生活困窮者自立支援制度」へ繋がるパーソナルサポートモデル事業の実施など、先駆的な取り組みや幅広い支援活動を展開した、沖縄県労福協・前専務理事の玉城勉さんです。労福協運動にかける熱い思いを語って頂きます。

第1回

● 全国の労福協でも随一の規模ですが、事業当初からこのような体制でしたか

 現在の職員数はパート勤務の方を含めて147名ですが、私が引き継いだ2002年は法人格のない任意団体で、スタッフは派遣の方1名、連合沖縄の役員をしていた私が非常勤で事務局長を担っていました。

● どうして、就労や生活など様々な支援事業に取り組もうと思ったのですか

 「困っている人を見て見ぬふりしない」-これが原点です。地域で困難者の支援をしていた両親の下で育ち、高校生の頃から生活保護や障害年金の申請などを手伝っていました。それと、博愛的経営者で現在の協同組合の基礎を創り、国際的な労働者保護を初めて唱えた英国の理想主義社会改革家ロバート・オウエンに憧れていたので。(笑)

● 具体的なイメージはありましたか

 県の福祉部門にいた際に、支援が必要でも「制度がない」、あるいは「制度はあってもたどり着けない」といった現実があり、制度・行政の限界や隙間を越えるワンストップ支援の必要性を強く感じていました。そこで、職場や労組の仲間と、新しい支援策等を研究テーマにした活動にも取り組みました。しかし、なかなか前に進みませんでした。

● どうして労働者福祉運動で実現できると考えたのですか

 2003年、連合評価委員会から「全ての働く者が結集できる社会運動」が提起されました。また、中央労福協でも、そのための研究や活発な意見交換が行われました。そうした会議に参加する機会を得て、これまでの私の思いや温めてきた考えなどを新しい社会運動の中で生かせる、実現できるとワクワクしたのを覚えています。

● 思いの実現に向けて何をなさいましたか

 まず、基盤となる財団を新たに設立し、それまでの事業を引き継ぎました。組合だけでなく、全ての働く人やNPО、さらに行政や経営者団体とも連携のとれる法人を目指しました。そして人材。公募等を通じて集まった仲間の中から、理念ビジョンに共感・共鳴する志の高い新しいリーダー達も生まれ、苦労を共にしながら組織を育み、現在の沖縄県労福協を創りました。その間、中央労福協のトブタカンパをはじめ心強い物心両面からの支援があったからこそ、苦しい時期を乗り切ることができたと思っています。

沖縄県労福協の組織図

エピソード①

泣きそうになりながらの子育て支援事業

ファミサポ開所式と親子

 子育て緊急サポートは、病児・病後児の預かり、朝・夜間等の緊急時の預かり、宿泊を伴う児童の預かりなど、育児の援助を受けたい方(利用会員)と育児の援助を行いたい方(サポート会員) の相互の助け合いで行う事業です。
 ファミサポ事業も含め事業がスタートした頃は、サポート会員が極端に不足していました。とりわけ夜間、早朝、病児病後児対応は、サポーターが見つからず労福協のアドバイザーが担うことが多くありました。子育て中にもかかわらず24時間携帯電話を持ちながら、夕食時や深夜にかかる電話で、自分の子どもの世話もできず泣きそうになりながら対応する場合もあり、困難を極めていました。さらに限られた予算で週3日勤務ながら携帯は交代で持つという状況でした。
 しかし、困っている親の求めを断らず懸命に対応する姿勢を持ち続け、なかには父子家庭の子どもたちを継続的に、夜間も自分の子どもと一緒に面倒を見る等の支援を行っていました。 また、困窮家庭のサポート料を負担できない場合には、ボランティアで支援を続けることもありました。もちろん私自身も一人のサポーターとして夜間、緊急、病児、病後児の預かりを担ってきたからこそ、職員の苦労を共有できたと思っています。
 その実情を伝えることにより市町村は予算の増額快く認めてきました。一方、労福協も1時間700円の子育てサポート券を発行する等、職員と一体になりながら事業を進めてきました。
また、子育て中の親支援として独自に行ってきた、就職支援や生活支援が、現在のパーソナルサポート事業へとつながりました。悩み、苦しみながらも一所懸命に支えてくれた職員による、子育て支援事業の取り組みが、利用者はもとより事業所や地域社会、行政に評価されることで様々な事業展開に発展してきました。
 厳しい時代の後に労福協に入職し、一定の恵まれた職場環境を得ている現在の職員にも先人たちの歴史を伝え続けたいと思います。

玉城 勉

公益財団法人 沖縄県労働者福祉基金協会 前専務理事

1955年沖縄県生まれ。沖縄県職員労働組合委員長を経て、2002年に連合沖縄政策事務局長(副事務局長)。2002~2004年、任意団体の沖縄県労福協事務局長(非常勤)。2011年11月~2017年6月まで専任の専務理事。その間、数々のNPO設立や支援等に取り組む一方、内閣府パーソナルサポート検討委員会構成員として生活困窮者自立支援法の制度設計にも携わる。

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