連載

第3回(188号/4月号)

東日本大震災と埼玉労福協と私

 2011年3月11日、中央労福協の会議が終わり、浦和の事務所に戻る途中であった私たちを激しい揺れが襲いました。車内では悲鳴が上がり、ホームにいる人は座り込んでいました。私たちは急いで電車をおりタクシーで事務所に向かい、大津波が東北沿岸を襲う映像を観ることになります。その時はそれが原発事故につながり埼玉県に数千人が避難することになるとは思いませんでした。
 令和4年の今でも3000人を超える福島県民をはじめ被災3県からの避難者が埼玉県内で生活をしています。

● 埼玉労福協は「東北地方太平洋地震救援対策会議」を開催、組織的支援を確認

 3月25日は2011年度の事業計画を決定する社員総会の日でしたが、総会終了後に「地震救援対策会議」を開催し、中央労働金庫埼玉県本部、全労済埼玉県本部、連合埼玉が連携して取り組むことを確認しました。そして4月2日に加須市に避難した双葉町を訪れ支援を申し出ました。
中央労働金庫埼玉県本部は、早速職員に呼びかけてBOXティッシュ192個、カップ麺450食を集めて双葉町に寄付しました。

● さいたまスーパーアリーナは「被災地」

 福島県双葉町の2000人を含む3000人が避難したさいたまスーパーアリーナはまるで「被災地」でした。全国から医師や看護師、医療関係者が駆け付け、様々な支援を行う人々でごった返し、連日数百人のボランティア希望者には「ボランティアの受付は終了しました」との告知も必要となりました。
 支援活動の中で目立ったのはJA埼玉青年部、生協などによるみそ汁の炊き出しでした。避難者の多くは生活道具どころか着替え、キャッシュカードすら持って来ていませんでした。そのような中での温かいみそ汁は避難者を勇気づけたと思います。
 3月31日、さいたまスーパーアリーナ相談コーナーに「労金住宅ローンの返済猶予」の相談がありました。東北労金福島県本部と連絡をとり繋げたのは労働金庫が全国連携の金融機関だったからでしたが、全国規模の「日本労働金庫」であればもっとスムーズに対応できたのではと感じた場面でした。

● 4月1日、双葉町民と役場機能は加須市に移る。

 旧騎西高校は1700人の町民が教室でくらす避難所となり、労福協の支援の場も加須市に移りました。

埼玉労福協三役と双葉町との話し合いの様子(2011年4月2日)

埼玉労福協三役と双葉町との話し合いの様子(2011年4月2日)

3/11東日本大震災発災
3/13 福1原発事故
3/20 双葉町、役場機能と共にさいたまスーパーアリーナが避難所に避難
3/31 双葉町スーパーアリーナから加須市の県立旧騎西高校に移転
4/ 2 労福協・双葉町と支援について話合う。 

〔連合埼玉と労福協の役割分担〕

  活動地域 内容
連合埼玉 被災地および埼玉県内の避難所 ボランティア活動/生活物資
労福協 埼玉県内の避難所、応急仮設住宅 ・さいたまスーパーアリーナのボランティアセンター
・埼玉県保有の支援物資や寄付された食品のお届け

〔連合加盟組織の取組み〕

  • 避難者家族を東武動物公園に招待(自治労)
  • 旧騎西高校で女性用衣類の仕分け(連合埼玉女性委員会)
  • 双葉町に男性用CAPの寄付(本田狭山、JAM埼玉)
  • 双葉町に家庭用ミシン、ロックミシンの寄付(JUKI労組)

永田 信雄 さん

一般社団法人 埼玉県労働者福祉協議会・前専務理事

1976年 9月
埼玉労働金庫(現中央労働金庫)入庫
1983年10月
埼玉労働金庫労働組合
(現中央労働金庫労働組合)書記長
2001年 6月
中央労働金庫労働組合書記長
2010年 3月
(特)埼玉県労働者福祉協議会に出向し事務局長となる。
2015年 3月
中央労働金庫を定年退職し再雇用嘱託
職員として埼玉労福協出向
2015年 5月
一般社団法人埼玉県労働者福祉協議会
専務理事に就任
2017年 7月
NPO法人フードバンク埼玉理事に就任
2021年 5月
一般社団法人埼玉県労働者福祉協議会
専務理事を退任
2022年 4月
避難者支援組織「さいたま共にあゆむ会」設立、事務局長となる。

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