連載

第4回(189号/5月号)

埼玉労福協と震災避難者支援② ~労福協だからできたこと~

 2011年の手帳を開いてみると、4月20日JAM埼玉・男性用帽子200個と書いてありました。加須市の旧県立騎西高校の校舎で生活する双葉町民への寄付でした。教室で暮らす町民の楽しみは、水田に囲まれた校舎付近の散歩でした。4月に入ると日差しも強くなり、毎日の散歩にはキャップが必要でした。おしゃれな帽子より、双葉町で身に付けていたkubotaとかイセキのロゴが入った帽子の方が人気でした。
 加須の景色がなんとなく双葉町に似ていたのかも知れません。
 埼玉県内の避難所は6月末に閉所となり、旧騎西高校に避難している双葉町を除いて、被災地からの避難者3,000人以上は「みなし仮設住宅」に移りました。
 「みなし仮設住宅」とは、国家公務員宿舎やUR住宅、埼玉県営住宅、雇用促進住宅、民間賃貸住宅などを借上げて仮設住宅としたもので、避難者は住環境が改善された一方、知らない隣人と暮らす「新たな孤独」の始まりでもありました。
 そこで労福協は各地での「つながりづくり」に取り組むことにしました。具体的には、①すぎとげんき会 ②雇用促進向原住宅 ③雇用促進サンコーポラス④ふじみ野市おあがんなんしょ ⑤新座市交流会 の開催に協力しました。

●「スパリゾートハワイアンズに行きたい」

 ふじみ野市の避難者交流会「おあがんなんしょ」からスパリゾートハワイアンズに行けないだろうかとの相談がありました。この時スパリゾートハワイアンズはまだ部分営業でしたが、12月10日、「ハワイアンズへの日帰りバスツアー」を実施しました。
 朝、バスの中で「初めまして」と挨拶した参加者は長い車中での会話を通じてすっかり打ち解けて一つの家族のように一日を過ごしました。帰りの車内では連絡先を交換し「一緒に頑張るぞ!」と盛り上がりました。

●どうせなら、

 「みんなでスパリゾートハワイアンズに行こう!」と考え始めました。幸いにも中央労働金庫が日帰りバス10台分の費用を出してくれることになり、UAゼンセンヤオコー労組から「スパリゾートハワイアンズ日帰り利用券」が提供されることになり、労福協からの持ち出しはスタッフの昼食代くらいでした。
 スパリゾートハワイアンズへのバスツアーは、2012年3月25日に県内8カ所から出発しました。この8台にはスタッフとして「地域労福協役員と各地の交流会主宰者」が乗り込み、避難者の皆さんの世話焼きを行っていただきました。
これは、12月のバスツアーの成果(地域ごとの繋がりができた)を全県に拡大することを目的としました。

 「ハワイアンズに行ける、福島に行ける」ということで、ツアーには383人もの方が参加しました。スパリゾートハワイアンズの休憩場所では数えきれない出会いの歓声があがり、笑い声と泣き声が溢れました。
この大規模な取り組みには30名のスタッフが必要で、その中心は地域労福協の役員や事業団体の職員でした。今から振り返ると労福協だからできたことだと思います。

●避難者たちの今

 埼玉県内には、3つの農園があります。

①越谷市あゆみの会農園(福島県浜通りからの避難者中心) ②上尾市避難者の会「ひまわり」農園(被災3県からの避難者) ③加須市新元気農園(双葉町からの避難者)

 この3ヵ所で50人以上の避難者が協働して野菜を作っています。私は収穫祭というと飛び入り参加し懇談しています。いつまで続くのかわからない埼玉での生活のアクセントかな、と思います。
 余談ですが、被災3県からの避難者の繋がりを続けるために、2022年3月に「さいたま共にあゆむ会」を結成しました。

永田 信雄 さん

一般社団法人 埼玉県労働者福祉協議会・前専務理事

1976年 9月
埼玉労働金庫(現中央労働金庫)入庫
1983年10月
埼玉労働金庫労働組合
(現中央労働金庫労働組合)書記長
2001年 6月
中央労働金庫労働組合書記長
2010年 3月
(特)埼玉県労働者福祉協議会に出向し事務局長となる。
2015年 3月
中央労働金庫を定年退職し再雇用嘱託
職員として埼玉労福協出向
2015年 5月
一般社団法人埼玉県労働者福祉協議会
専務理事に就任
2017年 7月
NPO法人フードバンク埼玉理事に就任
2021年 5月
一般社団法人埼玉県労働者福祉協議会
専務理事を退任
2022年 4月
避難者支援組織「さいたま共にあゆむ会」設立、事務局長となる。

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