連載

第5回(190号/6月号)

それぞれの取り組みを全体のものに

 2021年度、フードバンク埼玉の食品取扱量は85,325㎏(前年49,231㎏)となり、185の企業・団体、個人264人から食品寄付を受けるフードバンクネットワークになりました。埼玉労福協が立ち上げ、埼玉県内250を超える団体とつながりをもつフードバンクになったことに感慨無量です。

● 一度とん挫した「フードバンク埼玉」

 埼玉労福協は2009年に中央労福協が呼び掛けた「フードバンク研究会」に参加して、「フードバンク研究会in埼玉」を開催しました。セカンドハーベスト・ジャパンからも助言を頂きつつ理事会での議論を進めました。しかしフードバンクの先進性、有意義性については理解しつつも、私自身、業務内容・財政・将来性について確信を持つには至らず、もちろん埼玉労福協理事会としての合意形成には至らず、「労福協を主体としたフードバンク設立」を断念、検討は中断されました。

● 東日本大震災の避難者支援から「フードバンク的活動」を始める。

 一度はとん挫したフードバンク設立ですが、2011年3月11日に東日本大震災が起こると6,000人以上の被災者が埼玉県内に避難してきたため、埼玉労福協は避難者支援活動として食品提供・支援物資の配送を始めました。
 2011年秋にはセカンドハーベスト・ジャパンや民間団体から食品提供があり、「フードバンク」っぽい活動が増加し、周囲からは「労福協なの?フードバンクなの?」と聞かれるようになりました。そんなこともあって2013年から避難者への食品配送行う際には「フードバンク埼玉(仮称)」の呼称を使い始めました。しかしその実態は労働金庫やNTT労組ビルの空きスペースを倉庫としてお借りし、今だから話せますが車輛も労働金庫から借りたものでした。

● 「NPO法人フードバンク埼玉」として5年経過して・・・

 2015年7月になると「生活困窮者自立支援法」の施行が見えてくる中、埼玉県社会福祉協議会と埼玉労福協の間で「彩の国あんしんセーフティネット事業」への食品提供の覚書を結び、避難者以外への食品提供も始めました。
 2016年には共に避難者支援に取り組んだ非営利協働組織10団体に参加を呼びかけ、フードバンク埼玉運営協議会を結成、2017年には事業の安定化と持続可能性を求めてNPO法人フードバンク埼玉になりました。
 しかし5年経った今でも、財政基盤の安定や事業の継続性には課題山積です。2019年度からの3年間は個人や企業団体からの大口の寄付金もあり、経費の増大に凌いできました。2022年度はフードバンクへの「寄付特需」は終わり、フードバンク埼玉の「財政的綱渡り」は続きそうです。
 今、私が考えているのは、掲載させて頂いた「官民連携モデル(図)」です。実は、群馬県前橋市では直営のフードバンク前橋があります。前橋市が費用と場所を提供し、フードバンク北関東が運営を行っています。
 労福協の政策提言として、「官民連携モデル」による持続可能性のあるフードバンク支援をお願いしたいと思います。

フードバンクの新しい形〈官民連携モデル〉

フードバンクの新しい形〈官民連携モデル〉

永田 信雄 さん

一般社団法人 埼玉県労働者福祉協議会・前専務理事

1976年 9月
埼玉労働金庫(現中央労働金庫)入庫
1983年10月
埼玉労働金庫労働組合
(現中央労働金庫労働組合)書記長
2001年 6月
中央労働金庫労働組合書記長
2010年 3月
(特)埼玉県労働者福祉協議会に出向し事務局長となる。
2015年 3月
中央労働金庫を定年退職し再雇用嘱託
職員として埼玉労福協出向
2015年 5月
一般社団法人埼玉県労働者福祉協議会
専務理事に就任
2017年 7月
NPO法人フードバンク埼玉理事に就任
2021年 5月
一般社団法人埼玉県労働者福祉協議会
専務理事を退任
2022年 4月
避難者支援組織「さいたま共にあゆむ会」設立、事務局長となる。

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