連載

 第2弾は新潟県でLSCを軸として行政、福祉団体、NPO、市民団体などと幅広く連携しながら生活困窮者支援に精力的に取り組まれた新潟県労福協・前専務理事の山田太郎さんにお話を伺います。

第1回

労働者福祉運動を地域から見つめ直す
~地区労福協運動の強化とライフサポート(LSC)事業~

2013年度 LSC実務者会議

● はじめに

 2008年のリーマンショックを前後するこの時間軸は、フリーター漂流、ワーキングプア、ネットカフェ難民、年越し派遣村など、貧困や格差社会を反映するNHKスペシャルが連続して特集された。その後もフードバンクや下流老人、引きこもり、子ども食堂、奨学金問題など、直面する貧困課題は次から次へと切れ目なく発生し、メディアで取り上げられたり、暮れの流行語大賞にノミネートされるなど、日本社会のほころびが顕著に現れてきた時期でもあった。
 敗戦後の混乱期とは、また違った次元で、「福祉はひとつ」をスローガンに連帯と協同による労働者福祉運動がいま、改めて社会の要請として求められると同時に労福協運動の大きな転換期でもあった。そうした中での短い期間ではあったが、労福協運動に携わり貴重な体験をさせていただいた活動について以下、後述することとしたい。

● ライフサポート事業のスタート

 2003年9月に報告された連合評価委員会の最終答申は、当時、労組の役員を担っている者として、正直なところカルチャーショックを受けた。それまでの労働運動は職域の中の運動でしかなく生活領域の中には労組の存在感や影響力はないに等しい。一口で言えば、そのような答申内容であった。その評価委員会の議論から、ライフサポート事業のスタートは2005年8月、連合・労金・全労済・労福協の4団体合意がはかられ、「地域に顔の見える連合運動」をめざし、全国100余のモデル地協が立ち上げられて動き出したと記憶している。

● 新潟県ライフサポートセンター(以下、LSC)

 新潟県労福協のLSCの立ち上げは、2007年から議論が始まり、第一次五ヵ年計画として、連合新潟・新潟労金・新潟県総合生協からの資金提供により、その年の12月に第1号として佐渡地域LSCが設置された。翌年から準備の整った地域から順次LSCが立ち上げられた。
 しかし、当時の議論として、LSC事業は、労福協がやるのか連合地協がやるのか、という入口の議論が整理されないまま各地で立ち上げられたため、その後の数年間、一部の地協役員の中に、LSC事業は連合地協の運動に直接関係はないと思い込む役員もいたようだ。本来、LSC事業は、運動体である地区労福協が受け皿となって行うべき活動ではあるが、当時の新潟県の場合、地区労福協組織が県内に整備されておらず、事業体としてのLSCが先行して立ち上げられた。

●地域組織の整備と強化

 現在、新潟県内に地区労福協は10地区あるが、就任当時、地区労福協は数ヵ所しかなく、あっても“開店休業”に近い状態であった。活動内容においても温度差があり県労福協との関係も不明確な位置づけであった。詳細は触れないが新潟県福対協時代の経緯や財政の問題などがあったようだ。しかし、今日の情勢下で地域運動を推進していくうえで運動体としての地区労福協の存在は欠かせない。この確信のうえに、まず、地域組織の整備に力を注いだ。しかし、新しいものを手掛ける時には必ずと言っていいほど批判や抵抗がつきまとう。新たに地区労福協を設置しようとする地域では、「何を今さら、なくても不自由はない、今のままで十分ではないか、財源はどうするのか」など、後ろ向きの意見があったように記憶している。

● 地区労福協運動の柱はライフサポート事業

 2008年度から連合地協を軸にLSCを立ち上げ、暮らしの何でも相談と地域に顔の見える運動を推進してきた。最多で13センターの拠点による事業展開の時期もあったが、地域のニーズを引き出せず、少ない相談件数や不十分な取り組み等、活動面でかなりの格差が生じた。また、費用対効果の面からも、いくつかのLSCをやむなく縮小・廃止とし、現在は7センターで活動している。
相談内容もスタート時から大きく変化し、今日の社会情勢を反映してか、かなり重度の相談事例が多くなり、コーディネーターの精神的負荷も高まり、相談対応のレベルアップ研修の充実とメンタルケアが余儀なくされてきた。

● 拡がる地域のネットワーク

 地区労福協運動の柱としてLSC事業を取り組む中で地域の評価も変化してきたように思える。後日談ではあるが、自治体や福祉団体、NPO・市民活動団体にしてみれば労働組合はハードルが高く異質なものに映っていたらしいが労福協というネーミングは福祉団体のイメージがあり身近に感じられるということである。

 今回、後述する生活困窮者支援事業をはじめ、よりそいホットライン、フードバンク活動等、いくつかの事業の立ち上げや存続が維持できている背景には、LSC事業を基盤として地域でつながった各方面の団体や個々の人たちとの連携があって活動が継続してきたと思っている。行政をはじめ地域の様々な機関・団体との有機的な連携を見る限り、間違いなくLSCを軸とした地域運動は前進していると確信できる。

山田 太郎 さん

一般社団法人 新潟県労働者福祉協議会 前専務理事

新潟県長岡市生まれ。JP労組新潟連絡協議会議長を経て、2011年6月から6年間、新潟県労福協専務理事に就任。厚生労働省の委託事業として、生活困窮者自立支援事業(パーソナル・サポート)や寄り添い型相談支援事業(よりそいホットライン)を受託。
その過程において毎日の食事にこと欠く相談者への食糧支援の必要性を感じ、民間団体と一緒に「フードバンクにいがた」を立ち上げ、現在も活動に携わっている。

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